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津田・達川
今日7月20日は、元広島カープの炎のストッパーこと津田恒美投手の命日です。

山口県南陽工高でエースとして活躍し、高校3年春・夏と、二回甲子園へ出場。春の甲子園は刈谷高、東海大四高を破りベスト8進出。

夏の甲子園は宇治山田商を完封シャットアウトで破り初戦を突破。続く二回戦では打線の援護がなく天理に0-1で敗れるも、その力強い速球は「大会ナンバーワン投手」と謳われました。

しかし高校卒業後はプロには進まず、山口県防府市の協和醗酵へ入社。3年間でさらに力をつけドラフトの目玉に成長。ドラフトでは念願の?広島から1位指名を受けました。

同じ年のドラフトでは、巨人が槇原投手を1位指名、甲子園優勝投手金村は近鉄が1位指名、プロ入りを拒否していた工藤公康投手を西武が6位で疑惑の指名、ロッテは現監督の西村内野手を5位、ヤクルトも現監督の小川外野手を4位で指名しています。

プロでは入団1年目に11勝をマークし、見事にカープ初の新人王を獲得。この後堰を切ったように1984年小早川、1985年川端、1986年長富と3年連続でカープから新人王が出ました。

2年目以降は肩痛や右腕血行障害などで伸び悩み、成績も徐々に低下していた中、5年目の1986年に抑えに転向。防御率2.08、4勝6敗22セーブでチーム5度目の優勝に貢献し、カムバック賞も獲得しました。

闘志剥き出し、球種のほとんどが最高153km/hを誇る剛速球で、ストレートのサインが出るまで首を縦に振らないという意地っ張り。そしてピンチになるほど球速もあがり、ストレートと分かっていてもバッターが打てないという、まさに炎のストッパーそのもので、見ていて惚れ惚れするような投球でした。優勝を決めた神宮球場ヤクルト戦では、先発北別府が、津田に投げさせてやってくれと最終回のマウンドを譲り、見事胴上げ投手となりました。

ところがまたもや翌年以降は救援に失敗することが多くなり成績低迷。抑えで出てきてランナーを貯め逆転されるケースもあり、「サヨナラの津田」と言われたこともありました。カープ黄金期で、私も毎年熱心に応援していましたが、確かにここ最近の永川のような感じで、リードしていても安心感がなかったし、打たれて負けるとボロクソ言っていた記憶があります(^_^;

しかし1989年には防御率1.63、12勝5敗28セーブを挙げる活躍で最優秀救援投手、ファイアマン賞に輝き、再び復活しました。これでまた活躍してくれると期待していましたが、翌年から故障と体調不良のためほとんど登板機会がなくなり、1991年4月14日の巨人戦登板を最後に悪性脳腫瘍のため退団。最後のバッターは現巨人監督の原辰徳でした。
津田恒美プレート
その年、津田の病気を知った広島ナインは、何とか津田に優勝を送ろうと、シーズン終盤に5ゲーム差をひっくり返し、見事に広島球団としても最後となってしまった6回目の優勝を津田に届けましたが、広大病院で検査したときには処置のしようがない状態だったらしく、2年間の闘病生活の後の1993年7月20日、32歳の若さで逝去。

その日はちょうど東京ドームでオールスター第一戦が行われていたのですが、その試合中に訃報が入ったのです。
山田雅人語りの世界
その津田投手の語りを、阪神ファン?であろう山田雅人が広島でやったそうです。動画はその直前のスポーツ元気丸で一部を披露してくれた時のものです。通算成績は286試合出場、49勝41敗90セーブ、防御率3.31。ずば抜けた成績ではありませんが、まさに記録よりも記憶に残る名選手だったと思います。

津田投手年度別投手成績

年度 登板 勝利 敗戦 SP 回数 防御率 球団順位
1982 31 11 6 0 166.2 3.88 4位
1983 19 9 3 0 132.0 3.07 2位
1984 14 3 4 1 54.1 4.64 優勝
1985 22 2 3 1 42.0 6.64 2位

1986 49 4 6 22 69.1 2.08 優勝
1987 47 3 4 18 65.2 1.64 2位
1988 47 5 9 20 72.1 3.86 3位
1989 51 12 5 28 83.0 1.63 3位

1990 4 0 0 0 6.2 2.70 2位
1991 2 0 1 0 1.0 27.00 優勝


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2011.07.20 Wed l 野球 l コメント (6) トラックバック (0) l top